「チャッピー」見てきた。※ネタバレ有
みなさんこんにちは。sayaです。
先日、「チャッピー」を見てきました。
かなり大好きな映画でサイコーでしたので、
感想ともレビューともつかぬ、考察とも呼べぬアレですが書いておきます。
以下、映画「チャッピー」のネタバレあり!
結末に触れている部分があります。
未見の方はご注意ください。
↓
↓ ※ネタバレ有!注意!
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ヒトをヒトたらしめる境界は、一体どこにあるのだろう。
心、 精神、意識、攻殻でいうところのゴースト、
人工知能のスカウト(ロボットの名称)であるチャッピーには、
まさにこの、精神、意識、ゴーストといった類ものが、あるように思える。
ヴィンセントは「 お前は意識があると思い込んでるだけだ」と言い放つが、
でもそれならそもそも、本物の意識って何だろう。
本物の条件とは。
判別できるのか。
「 人間の意識は思い込みではない」と、
それとも、ロボットか?
②のディオンは、「人間の」意識が転送されてはいるが、
②のディオンは、「人間の」意識が転送されてはいるが、
③のヨーランディは、意識こそ脳波のコピーだけど、
①と② よりもずっと、人間の姿に似ていた。
そして①のチャッピー。
彼のことをただのロボットとはもう思えない。
映画の冒頭からずっと、成長を見守ってきたのだ。
そう考えるとやっぱり身体は、ただの殼のような気がしてくる。
意識と身体は無関係ではないけれど、
それが自分そのものってわけじゃない。
「ママは、 あなたの心を愛しているの」と。
チャッピーは、自分のバッテリーの限界を知って、死を意識する。
チャッピーは、自分のバッテリーの限界を知って、死を意識する。
彼は「どうして死んじゃうように僕を作ったの?」 とディオンに詰め寄る。
これはまさに人間の、生きるものすべての、 永遠の問いだ。
死ぬと分かっていて、なぜ生きるのか。
だけど最後にチャッピーたちは、
意識の転送によって、 それまでの身体を捨てる。
新しい身体に自分の意識を移し、死を回避する。
「死」を超えた、異端の「黒い羊」たち。
彼らはこれからどう生きるのか。
ブロムカンプ監督の描く、「目に見えないボーダー」が、 私はとても好きだ。
精神と身体。正義と悪。生と死。性別、人種、 国籍、容姿。私とあなた。
それらは表裏一体であり、 うつろいやすく、重要な要素であるけれど、
4人のこれからについては色々と妄想してるけれども、
「一人だけ生身のニンジャは今後、
身体を捨てて別の何かに意識を転送するorしない」
という議題が今、私の中でアツい。
次回作もちょうたのしみ。おわり。
革ぜんぜん関係なくてGOMENNE!
saya